1979-02-28 第87回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号
現在御承知のように、すでに大阪、また今度沖繩、各地に徳洲会の病院というものができておるわけでありますが、大阪府医師会と徳洲会関係の病院の間にトラブルがあるようには私は聞いておりませんし、また沖繩県におきましても徳洲会病院と沖繩県医師会との間にトラブルがあるようには私は聞いておりません。
現在御承知のように、すでに大阪、また今度沖繩、各地に徳洲会の病院というものができておるわけでありますが、大阪府医師会と徳洲会関係の病院の間にトラブルがあるようには私は聞いておりませんし、また沖繩県におきましても徳洲会病院と沖繩県医師会との間にトラブルがあるようには私は聞いておりません。
当時、旧軍は超緊急措置として沖繩各地に多くの飛行場を建設をいたしました。沖繩守備軍であった第三十二軍は、当初飛行場設営軍と言われるほど十数万余の将兵並びに住民、老幼婦女子に至るまで動員をして、いわば人海戦術によって、各島々において急ピッチで飛行場を建設をしたのであります。 当時、第三十二軍の高級参謀でありました八原博通という方の書いた「沖繩決戦」という本があります。
これは島田先生が御指摘になったとおり、できるだけ早い時期に縮小させるということが大前提でございますが、現在沖繩各地で土地は返ってきましたが、なかなか使えない。というのは、ほとんどが個人所有地でございまして、公図、公簿等も全然ございません。
なお地域名につきましては、そこに那覇、糸満、与那原、宜野湾等書いてございますが、沖繩各地の警察署の管轄から出ておりますので、処理した数量の多いものを代表的に表示してございます。 以上でございます。
その根本原因は、現在でも海兵隊は、単に金武ブルービーチ地域での演習だけじゃなくて、沖繩各地でこういう戦車訓練なり上陸訓練なり、いろいろな実弾演習をやっておるわけですが、そういった戦場意識からこの問題が起きているということ、それと政府が基地に対してきわめてあいまいな態度をとってきたということですね。この点、私は免れないと思うのです。
その間、沖繩の住民の皆さんはどこにいたかというと、沖繩各地に設けられました強制収容所に収容されておったのであります。軍隊の捕虜に対する収容というものは、これは通例の戦闘の場合に見られるのでありますけれども、非戦闘員を全面的に強制収容所に収容しておくということは、世界の戦闘史上に例を見ないと私は思うのであります。こういう国際法の違反が堂々と行なわれたところに沖繩の占領の特殊性があるのであります。
(拍手)返還協定が、本土国民及び沖繩県民の意思を反映していないので、再交渉してやり直せという議論もありますが、しかし、私は地元沖繩各地を機会あるごとに歩いて回り、県民各層の多数と意見の交換をした結果、はだで実感として感じ取ったことは、やはり、大多数の者が一日でも早く復帰して、不安を解消したいと考えているからであります。